20年前、新潟の蔵に挨拶しに長岡に訪れたとき、駅前の飲み屋さんに入ると、長いカウンターの奥に「お燗番」のおばあちゃんがちょこんと座っていました。
真冬だったので、まず熱燗を頼んで料理を注文します。そのお燗がなくなって頼むと、すっと程よいお燗が出てきます。そう、お燗番が手元を見ていて無くなる頃を予測してつけてくれているのです。
気が付いたら、食事を終えるまでずっと飽きることなくお燗を飲んでいましたが、その温度が微妙に変わっていたのです。石田光成のお茶ではないですが、一杯目は熱く、二杯目から温度を下げ、食事が進んで酔いが回るにつれまた暖かくなっていたような気がします。
一食事を、同じお酒を温度を微妙に変えることによって最初から最後まで違和感なく飲ませるその技量に感嘆し、「この技術はノウハウを聞き出してアーカイブ化しないとおばあちゃんたちとともに無くなっちゃうよ」と、日本酒メーカーの偉い方や営業さんに訴え続けましたが、そのようにされたという話はついぞ聞きません。
それから二十年。唎き酒師や焼酎アドバイザーの資格をとりましたが、お酒の知識はもとより、お酒と食事の相性というものがかなり重視され勉強させてもらいました。
しかしながら、世界的に体系づけられたソムリエ、ワインアドバイザー、そしてそれらのいる洋食店に比べて、和食店における食事とお酒の組み合わせについて、それをマッチングさせている店はほんのごく一部でしかない気がします。
私がかつて勉強させてもらった、その数少ない和食店では、お酒のメニューが無く、料理を頼むと対象がそれに合わせたお酒を出してくれており、その相性が抜群でことごとく料理がおいしくなり、常連満載の大繁盛店でした。
先日全国の酒屋の集まりにおいて、ワインの権威のお酒屋さんに聞いたところでは「東京の気の利いた和食店では、板前さんがあたりまえにお酒の勉強をしているし、ホールの人もまたお酒だけでなく料理の勉強をしているものだ」と教えてくれましたが、他の東京のお酒屋さんは「そういう店は確かにあるけどそんなに多くないよ」とのことでした。
「昔は『唎き酒師のいる店』を売りにしていた店もあったけど、人件費が高くついたりして段々になくなってくるね」ということも聞きます。
地方のお酒屋さんでは「お店の人にそういう話をしても聞いてもらえないから、頭にきてお客側の人たちを集めて講習会をしているよ」という人もいました。
かくいう私も、お店で食事に感動しながら、その相性のことを口にすると、大抵嫌がられ、中には翌日営業が呼び出されて怒られたこともあります。確かにお客さんのところで酔っぱらってクダを巻くのはご法度であります。
なぜそうなのだろうかと考えると、外国と日本の「飲酒スタイル」が違うことがあります。洋食文化では、ワインなどは食事と共に飲みますが「食事を引き立たせ、よりおいしくするもの」という存在です。
それに対して日本では「好きな酒を飲み、料理は酒の「アテ」として気の利いたもの」という「酒が主役」文化です。なので好きな酒を自由に飲み、そして好きな料理を食べる。そこに相性というものは「気の利く」程度のものでしかないということなのでしょう。
ちなみにヨーロッパでは、洋酒など香味の強いハードリカーなどは食前酒や食後酒、または食事が終わってからパブなどで酒だけ飲むもの、となります。20数年前のイギリスのハブでのつまみはナッツやポテトチップスなんかが小さな袋で吊ってあるくらいでした。
和酒で香味の強い酒と言えば「芋焼酎」が挙げられますが、淡白な味の和食は芋焼酎と一緒に食べるとほとんどフレーバー(鼻から抜ける香り。味と認識される)がわかりません。
果たして鹿児島の人たちは何を食べているんだろうと現地に行った際に観察してみると、魚はぬた(甘味噌)を掛け、さつま揚げは砂糖がふっぷり入っており、豚の角煮、豚足など「甘みのある濃い味」が基調でした。
きわめつけの「きびなごの刺身」は、無色透明無味無臭に近いので、どうやってこれに芋焼酎が合うのか?といぶかしむと、果たしてつけた醤油が甘かった!!その醤油と芋焼酎の合わせにきびなごの触感、というのが答えでした。
ちなみに「甘くない醤油下さい」と言ったら「ああ、辛口醤油ね」と言い直されました。食文化って興味深(おもしろ)いです。
それと、嫌がられる理由としてもう一つ、、料理店の店主は料理人であり、料理のことは勉強するとしても、お酒のことまで勉強するの大変だ、ということがあるのでは?と思います。
洋食の世界では、基本キッチンとホールが別れており、料理は料理を研鑽し、ホールがそれをお酒を含めて心地よく楽しませるサービスをするように思います。
その垣根が低くてもいいのですが、やはりシェフが料理からお酒からサービスから一人でこなすのはかなり小さな店でなければしんどいことかと思います。
よって、料理人とは別に、客席で客をあしらいおもてなしをする存在が必要なはずです。
しかし和食の世界でも、料理人の「大将」「板前」に対し、客席の「女将さん」「仲居」がいるのはごく普通です。
と、いうことは、その「女将さん」「仲居」の役割として、食事とお酒をマッチングさせる役割が付与されていないということなのでしょう。
確かに、昔の和食店では「大将・板さん」と「女将さん・仲居」と「お燗番」というのは別の役割・存在だったのかもしれません。それが「お燗」という文化がすたれてきて、お燗番を一人常任させておく経費はまかなえなくなり、「女将さん」「仲居」に吸収されるも、それとともにそのノウハウも中途半端になってなくなってしまったのかもしれません。
私が京都に行くと必ずよる祇園の小料理屋では、女子大生の雇われ「女将」が、錫のチロリ(錫だとお燗がおいしくなると言われている)で燗をつけ、お銚子にお湯を入れて温めて捨て、そこについた酒を注いで出してくれます。店には出ていない「大女将」が、「若女将」が変わる度にきっちり伝承してくれているんだなと感心します。
その伝承が「燗の温度」まで、というのは、つきっきりでいるわけにもいかず、何か科学的な器具などのサポートが必要でしょうが、とにかくそれも含め、「酒と料理の相性を主体とする接客全般のサービス」というものが確立されなければならないのではないか?と考えるのです。
和食における「唎き酒師」というものは、酒自体の知識を求められる「ワインアドバイザー」と同じ立場だとすれば、「ソムリエ」に匹敵する資格と、それを体系づける知識が必要と思います。
それをあえて名づけるなら、私個人としては、今は名前だけになってしまった「お燗番」がいいと思います。それが冒頭に書いたようにお茶にも通じる「おもてなし」を酒の場で表しているように思うからです。
先に出たワインの権威の方は、その「お燗番」構想について「ソムリエがいるから必要ないじゃん」という見解でしたが、ワイン主体の資格をとるためには、膨大なワインの知識をまず覚えなくてはならず、そのワインの比重が必ずしも高くなく、様々な種類が混在する和食界ではあまりにハードルの高いものとなってしまいます。
よって、和食を主体とした知識と、それとともに提供されうる酒類を適切なバランスの知識、そしてワインでは「サーヴ」とよばれる給仕におけるサービスを含めた資格が望ましいと考えます。
新潟の大手の酒屋さんにその話をしたところ、大変共感してくれ、「日本酒協会のお偉いさんに言ってあげる」とのことで、日本酒酒蔵協会の方々の音頭でもいいですし、また唎き酒師の資格を認定している「SSI」などが利き酒師の延長から制度化してくれるのもありがたいことかと思います。
世界遺産になった「和食」が世界に輸出されている今、外国からそれらが逆輸入されてしまう前に、日本人の味覚の誇りをもって早急な制度化が成ることを希望しています。